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第2回
私の前夜祭
平成23年12月19日月曜日

 18年間青森にいた男が、今年の4月に茨城に来て早8か月がたつ。冬の寒風は身に染みるが、雪が降らないというのはこんなにも楽なものなのかと喜びながらも、内心雪がないことへの戸惑いも感じつつある。どうやら私は天邪鬼のようで、雪がないとそれはそれで寂しさを感じているようだ。まあ帰って雪かきすることを考えるとうんざりするが。
 
 8か月の間で、言葉が混じりつつある。日本全国津々浦々の所から人が来ている。特に西日本の言葉がうつりやすい。このままでは津軽弁のコーナーを担当している者として顔向けできない。しかし不思議なもので、帰省し、津軽弁会話の中に混じると、元に戻る。感覚を取り戻す、とはこういうことを言うのだろうか。
 
 愛媛、福岡、大分から来ている友人がそれぞれいるのだが、私はそれぞれ同じに聞こえるのだが、本人たちに言わせてみると、全然違うそうである。まあ逆に、青森、秋田、岩手の会話を聞かせてもわからないのと同じだろうか。いや、それは私も判別できる自信がないが・・・。
 
 私が感じたこととしては、東日本の人々は、イントネーションで「なまって」いるなあ、と感じる。それに対して、西日本の人々は語尾を聞くと「なまって」いるなあ、と感じる。「〜やん?」「〜たい。」「〜やけん。」そのようなところだ。
 会話中、ぽろりと「〜やろ?」などと言ってしまうことがある。一言言うごとにああ、着実に蝕まれているなあ、と感じる今日この頃なのであった。
 
 方言は、その地方を表す特徴としては最大のツールであると私は考えている。そのため、せっかく青森から来て、方言の一つも紹介できないのでは、何か寂しい。とは言っても私を含めて、周りの人々、特に若い世代が、そうそう方言を話さなくなってきているのも事実である。これは津軽弁に限った話ではなく、南部弁、下北弁、いや、青森県内にとどまる話ではない。
 
 余談になるが、私の体験で、津軽弁で一番受けがよかったのは響きの良さからなのか「かちゃくちゃね(いらいらする)」であったのだった。
 
 若い人々へ。自己紹介だけでも、方言で話せるようになってみてはいかがだろうか?それが方言の良さを発見するきっかけにつながるかもしれない。(田名辺一至)